わが家には娘が3人いるのですが、長女が生まれたとき、富山に住む私の父、娘たちの祖父が七段飾りのひな人形を買ってくれました。名古屋で行われている人形展示会へわざわざ足を運んだらしく、そこで見かけたひな人形を大変気に入って帰ってきて。
ずらりと並ぶお人形のなかから、「これが一番赤い!」と言って決めたそうです(笑)。
そのあとは何年も、桃の節句のたびに富山の実家へ家族全員で里帰りして。娘たちが嬉しそうにしている様子をみて、父も毎年そのイベントを楽しみにしていたようです。
おじいちゃんとおばあちゃんの家で、おひな様を飾っていたことはいまでも覚えていますね。私が小学1年生で引っ越すまでは、富山の家に飾ってもらっていたんです。でも、わざわざ名古屋まで探しに行ってくれていたとは、初耳でした。
引っ越しをしてからは実家に引き取って、3月3日が近づくたび、家族みんなで飾りつけをするのが習慣になりました。子どもながらに、とても楽しみにしていたのを今でも覚えています。
どの位置にどの人形を飾るのかわからなくなったり、小さなひな道具がたくさんあるので、なくさないように注意したり……。
なにしろ七段なので、飾りつけが結構大変だったんです。でも、説明書をみて家族でああだこうだ言いながら飾ったことは、今となってはとても良い思い出です。
長女だけでなく、次女と三女にもそれぞれひな人形を買ってくれました。それから孫娘3人へ、きちんと3人分のひなあられを送ってくれて……全員を平等に可愛がってくれていましたね。
そういえば、ひな祭りには、私の父と母からいつも電話がかかってきていました。毎年、「ちらし寿司、作ったか? ハマグリのおすましは作ったか?」と聞かれるので、「ハマグリは無理。アサリで作った」と答えたりしてね(笑)。
父は3年前に、そして母は半年前に他界したのですが、私の娘たちに大きな愛情を注いでくれました。きっと娘たちもそれは感じてくれているとおもいます。
ひな祭りには母が必ずちらし寿司を作ってくれていたんです。それを、お内裏様の前にもお供えして、家族でみんなで食べてお祝いをしていた思い出があります。
当時はそれが普通のことだと思っていたのですが、今考えると、母もおじいちゃんもおばあちゃんも、私たち姉妹に本当にたくさんの想いを寄せてくれていたんだなと感謝の気持ちです。
私も、今後もし自分に娘が生まれたら、子どものころにやってもらったのと同じように、お祝いをしたいなと思います。次女には最近娘が生まれたので、これを機にまた、母と妹たち、そしてその子どもと集まったり……思い出を作っていきたいですね。
ひな人形の組み立てから飾りつけまで、家族みんなでやっていた。6畳の部屋がひな人形でほぼ埋まってしまうので、2月後半からひな祭りまでは親の部屋が使えず、その間は家族4人、妹が生まれてからは5人で一緒に寝ていたのが楽しかった。神奈川県/40歳以上
友達の家で大きなひな人形を見てうらやましかった。山口県/35歳
ひな祭り当日はちらし寿司や桜餅をお供えしたので、その匂いがひな祭りの記憶となっている。東京都/40歳以上
ひな人形の、特に三人官女がとても美人さんで大きくなったらこんなきれいな人になりたいと思って飾っていた記憶がある。埼玉県/35歳
天井に届きそうなくらいの大きなひな人形を、父が毎年はしごに上って飾ってくれていた。静岡県/32歳
ひな人形を飾って、妹と姉妹の写真を撮るのが恒例で楽しかった。兵庫県/25歳
小さい頃は和室に大きなひな人形を飾っていたので、飾りつけをしたあとは弟と段の後ろに隠れて遊んだりして、楽しかった思い出がある。兵庫県/34歳
和室に七段飾りを出して、母の手作りちらし寿司を食べた。 今は亡き母との思い出。奈良県/30歳
幼いころのひな祭りの思い出として「家族でひな人形を飾った」「ひなあられやごちそう食べた」
「自分の家にには飾りはなかったが憧れだった」などさまざまな声が寄せられました。
そのいっぽうで、自身が成長してからはひな祭りを祝う機会や、思い出す機会が少なくなってしまった、という人も多いよう。ですが……
など、当時をふりかえって、大人になったいまだからこそ、家族への感謝を感じるという人が少なくないようです。それぞれ、心がほっこりと温まるような思い出をもっていて、娘の健やかな成長を祈るご家族の思いが伝わってきます。